【「ぼーっと」した持論】なぜ「ぼーっと」することが重要なのか?

※この記事では、著者である僕の主観がたっぷり含まれています。あくまで一個人の意見としてお読み頂けると幸いです。

あなたは日々の中で「ぼーっと」していますか? 

「 ぼーっと」すると聞くと、 「時間の無駄だ」とか「やる意味あるの?」 など、ネガティヴな印象を抱く人はいるかと思います.

 今回はそんな忙しい日々の中で、「ぼーっと」することの大切さを、僕自身の持論を交えながら少しお話ししていきます。

目次

「自分」とは何か? 

 堅苦しい本題から入ってすみませんが、『自分』とはなんなんでしょうか?

 僕が思う『自分』とは、唯一無二で一生変わらないものではなく、そのときの状況や環境に合わせて仮面をつけかえるほど容易く変えられるものだと思っています。

 職場では「頼りになる同僚」や「真面目な部下」、友人関係では「面白い人」や「聞き上手な人」、SNSでは「充実している自分」や「意識の高い自分」など。

 これらは、周りの環境や期待に合わせて、私たちが作り上げている"表面的な自分"と言えるかもしれません。

 もちろん、社会に適応するために、ある程度「表面的な自分」を使い分けることは必要ですし、悪いことでは全然ありません。

 問題は"ありのままの自分"の気持ちや本音を抑え込んで、"表面的な自分"を演じ続けることです。

「本当はやりたくないけど、この仕事をしなきゃ」 「疲れているけど、人前でそんな姿は見せられない」 「『いいね』が欲しくて、ちょっと話を盛ってしまった…」

 最初は意識的に演じていたはずの"表面的な自分"を続けるうちに、だんだんと何が本音で、どこまでが演技なのか、その境界線が曖昧になっていくことがあるように思います。

 周囲の視線ばかりを気にして、自分の心の声に耳を傾けることを忘れてしまう。

 それが続けば、いつしか「本当は何がしたいんだろう?」「自分って、どんな人間なんだっけ?」と分からなくなることがあるかもしれません。

 そんな"表面的な自分"と"ありのままの自分"の境界が分からなくなる状態こそ、自分を見失う瞬間なのだと僕は思っています。

なぜ人は、"表面的な自分"を演じ続けるのか?

 これも持論ですが、現代社会において「何もしていない状態(虚無)=弱者」とみなしていることが大きな一因なのではないかと思っています。

"虚無"であることは無意味で、無価値。

 そんな認識を刷り込まれて人々は"虚無"を忌避し、結果、「常に何かをしていなければならない」というプレッシャーを駆られているように見えてならないのです。

 人前で見栄えの良い"表面的な自分"を演じ続けるのも、他者との関係性をなくして自分が虚無に陥ることへの、恐怖の現れなのかもしれません。

 空っぽの自分でいることに、人は漠然とした不安や恐怖を感じてしまうのです。

 しかし、"虚無"になっても、人は生きることができます。

 たとえ無価値だと人々から罵られようと、自分は無意味だと感じても、『自分』という存在は間違いなく生きているのです。

 「ぼーっと」することの本質は、何もしない時間に触れることで"虚無"であることを受け入れることです。
 そうすることで初めて、"虚無"から逃げ続けていた自分を受け入れられ、"表面的な自分"と"ありのままの自分"を見つめ直せる土台ができあがるのです。

「ぼーっと」するとは、心の調律である!

 「ぼーっと」するとは、意図的に「何もしない」「何も考えない」時間を作ることで"虚無"という時間に触れてみましょう。

 スマホも仕事も、やるべきことも、一旦ぜんぶ手放して、ただただ「ぼーっと」して何もしない時間に心身を委ねてみる。

 やがて「ぼーっと」し終えた後の、少しクリアになった頭で、「表面的な自分」と「ありのままの自分」の両方を、少し離れた場所から客観的に(俯瞰的に)眺められるようになるものだと思っています。

「ああ、自分はこういう場面で無理しがちなんだな」 「本当は、こういうことを大切にしたいんだな」 「周りの目を気にして、こんな自分を演じていたんだな」

 "ありのままの自分"を見つめる中で、もしかしたら人前に晒せない自分に出会うかもしれません。
 見栄っ張りな自分、怠けたい自分、誰かを羨む気持ちや怒りを抱く自分など…。

 ですが、それらも全部含めて"ありのままの自分"です。善悪の2つの心があるからこそ人間なのです。

 良い面も悪い面も、そのすべてを「これも自分なんだな」と一度認識することで、何を演じていて何が本音だったのか鮮明になっていくのです。

 同時に「ぼーっと」する時間を重ねることで、虚無でも生きていけるという感覚が少しずつ育まれていきます

 それが結果的に、「常に何かしなければ」という焦りから解放され、物事をより冷静に判断できる力に繋がるものだと思っています。

「ぼーっと」することは、日常の中でズレてしまった"表面的な自分"と"ありのままの自分"のバランスを整える「心の調律」なのだと、僕は思っています。

最後に

 最後までお読みいただきありがとうございます。
 「ぼーっと」することの大切さをご理解いただけたでしょうか? 
 忙しい毎日でなかなか時間を作り出すのは難しいかも知れませんが、もし気疲れなどを感じる事が多くなるようでしたら、ほんの少しでも「ぼーっと」してみてはいかがでしょうか?

 この記事で、少しでもあなたの心が軽くなれば幸いです。

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