情報の本質とは何か?『NEXUS-情報の人類史-』を読み解く

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はじめに

ラノベや小説のほか、実用書などその時の気分で読みますが、実用書でも僕は『サピエンス全史』などで知られるユヴァル・ノア・ハラリ先生の著書が気に入っています。

そして今年の3月、この著者の最新刊である『NEXUS 情報の人類史』が発売されました。この本は、上・下巻でそれぞれ250ページ越えとなかなかのボリュームで、かつ1冊2000円(上下巻あるので合わせて4000円)と決して安くはありません。

それでも『情報』をテーマに、歴史や伝記などのエピソードを引用しながらの著者の明察は、AIが発展した昨今の情報社会を読み解く上で非常に参考となる名著で、今を生きる人々が読むべき本であると思いました。

今回は、そんなユヴァル・ノア・ハラリの著者『NEXUS 情報の人類史』で印象的に残った部分について、皆さんと共有できればと思いこの記事を書いた次第です。

なお、全てを記事に載せるとかなりの量になるので、テーマごとに区切り、要約という形でいくつかの記事を書こうと思っています。あらかじめご了承下さい。

今回は、「『情報』の本質とは何か?」という記事で書かせていただきます。

情報に対する誤解

 この著書では、最初に『情報』とは何かという本質的なテーマを述べています。

 ハラリ先生曰く、人々が情報と言うものに対して、いくつかの先入観と誤解を抱いていると指摘しています(本著ではそれを「情報の素朴な見方」と表現しています)。

 その誤解とは、端的にいえば以下のとおりです。

  • 情報は基本的に現実を映しており、かりにそれが偽物であっても、より多くの情報を得ることで真実に近づけることができる
  • より多くの情報を処理することであらゆる分野への理解が深まり、賢くなれる。なので情報は多ければ多い方がいい。

 しかし、作者はその見解を否定しています。
 まず、第一に、真実とされている情報は、実は完全な真実とはいえないこと。 

 身近な例をとりあげると、「ライブに1万人のファンが訪れました」と言うニュースがあったとします。
 一見すると、どこにもおかしい点は見当たらないと思いますが細かく見ていくと、まずその1万人が全員ファンであるとは限りません。
 もちろん大部分の人はファンであるかもしれませんが、中にはファンと呼べないような人が友人や家族の付き添いで来ただけだったり、興味本位でライブに来ただけだったりということも十分ありえます。また1万人という数字もたいがいは概算で、実際には「9998人」「10057人」など正確な数字ではないでしょう。

 またある出来事を伝えるニュースでも、報道機関の立場や編集方針によって、強調される事実やインタビューされる人物も違ってきます。伝え手の価値観や経験によって情報の捉え方は異なり、その結果、完全な現実が歪められてしまうのです。

 以上のように、真実と呼べるものは大部分が本当であっても、誰かに伝える上では完璧で正確な現実を示すことは不可能なのです。

 また、大量の情報があれば真実に近づくという見解も、決して正しいとは言えません。

 例えば、宗教などが良い例でしょう。
 現代ではスマホやパソコンなどにより大量の情報を瞬時に得られる時代となりましたが、これまで神話で語られて来たような神などは空想の産物とみなされてもなお、世界を見渡せば神を信仰する人々が大勢います。

(ちなみに推定値ですが、2020年時点でキリスト教徒は約23億8000万人 (世界人口の約31%)、イスラム教徒は 約18億人〜20億人 (世界人口の約25%)、仏教徒は 約5億人 (世界人口の約6〜7%)いるとされています)。

 そしてここが重要ですが、情報自体がそもそも偽物(フェイク)であり、それが大量に広がることもあります。

 SNSで蔓延るフェイクニュースはもちろん、歴史を振り返れば、中世ヨーロッパにおける魔女の存在や、日本でのハンセン病問題など、デマや誤解といった真実ではない情報によってもたらされた混乱は枚挙にいとまがありません

(※19世紀末から20世紀にかけて、「不治の病」という誤解により、患者が療養所への強制収容や隔離政策がとられた問題。結婚や出産を制限されたり、堕胎や断種を強制されたりなど、重大な人権侵害にも発展しました)

 確かに、大量にすぐ送り届けられるようになったおかげで、真実の情報と言うものを入手しやすくなりましたが、それと同じかそれ以上に偽物(フェイク)も広まるようになったのも事実です。

『情報の本質』とは?

 現実を示すものでないとすれば、情報の本質とは一体何なのか?

 ハラリ先生曰く、情報の本質とは『全く異なる者どうしを結びつけ、新しい現実を作り出すもの』であり、もっといえば、『結びつけられるものであれば何でも情報になりうる』という。

どういうことか?

極端な例で言えば、アイドルもまた情報の一つと言えます。とあるアイドルにより、それに魅入られた人々がファンという形で、見ず知らずの人同士を結びつけているからです。

この情報の本質に沿えば、現実に起きている事にも一定の理解ができます。

ある神話や神を信じる人々によって世界的な宗教が成立したり、Qアノンなどの陰謀論や、地球平面説を信じる人たちが集団をなしたり。

明らかな現実を捉えていないにもかかわらずそうした集団が形成されるのは、それらの神話や陰謀論といった『情報』が、客観的に異なっていても、それに共感する全く無関係だった人々を強く結びつける力を持っているからだといえます。

まとめ

この見解に、僕はかなり衝撃を受けました。
なぜなら情報というものに対して、現実を示したものであるという認識だけでなく、(本業もあって)より多くの情報を集めればいつかは真実が見出されるものだという考えを無意識のうちに抱えていたからです。

それを踏まえれば、この著書は、まさにそんな『情報』という常識を崩してくれた逸品なのは言うまでもありません。

まだまだこの著書で「はっ!」とさせられたことが沢山あるので、用意ができましたら随時アップして行こうかと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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