【ぼーっとした持論】”心のゆとり”とは何か? なぜ現代に「ぼーっと」する時間が必要なのか
なぜ「ぼーっと」するのか?

それは以前の記事でもお伝えしましたが、「ぼーっと」することで”表面的な自分”という仮面を外し、”ありのままの自分"に触れること、それが「心の調律」になるということでした。
言い換えれば、「ぼーっと」することは、”ありのままの自分”でいることともいえます。
では、「ありのままの自分」であるとはどういった状態なのでしょうか?
あくまで持論ですが、客観的に自分の感情をとらえつつ物事を冷静に受け止められる、いわゆる"心のゆとり"がある状態だと思っています。
たとえば誰かが失敗した時に怒りを抑えようと努めたり、困っている人に共感を抱いたり、新しいことに挑戦したり。
それらが可能になるのは、「ありのままの自分」として心にゆとりを持てているからです。
僕が「ぼーっと」することを広める理由

逆に、”心のゆとり”がなくなれば、自分の感情をうまく受け止められなくなり、結果的に新たな挑戦や他者に対する許容度が減っていきます。
お腹がいっぱいでご飯を受け付けられなくなるのと同様に、他の情報を取り入れる余力がなくなり、負担を軽くするために新しい情報が入ってこないよう無関心になったり排除しようとしたりしやすくなるのです。
他人を受け入れられないということは、相手への共感を失くすことと同じです。
だからこそ昨今の暴力沙汰や不祥事、争い事の多くは、現代人から”心のゆとり”が減ってきている結果なのではないかと思えてなりません。
僕が「ぼーっと」する活動を広めている理由は、忙しい日々を送る現代の人々に“心のゆとり”が持てる状態になって欲しいという願いがあってのことです。
ちなみに、みなさんは『ぼーっとする大会』というのをご存知でしょうか?

読んで字のごとく、決められた制限時間内、ただひたすら「ぼーっと」し続けるという大会で、僕も以前に参加したことがあります。
その『ぼーっとする大会』の開催目的も、私がお伝えしたいことと似たような主旨でした。
「ぼーっと」することで心に余白を作り、幸せに生きられるように。
今でこそニュースやSNSで話題となりエンタメ性に目が向けられがちですが、
大会の真の目的は、情報過多で心の余裕を持ちづらい現代だからこそ、あえて「ぼーっと」することで働き方や生き方を見つめるきっかけになってほしい、という願いが込められているのです。
例年、秋ごろに大会が行われるため、近々大会の情報も出てくるかと思います。 もし興味をお持ちでしたら、大会の公式LINEやXがあるので、そちらで最新情報を確認してみてください。
まとめ
長くなりましたが、「ぼーっと」することは決して万能薬ではありません。
それでも、もしも心にゆとりが持てなくなったなと感じるようなら、
ほんの少しでも自分から何もしない時間を作り、心の英気を養ってみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント